2016年08月29日

コペルニクスの転換

ローマ教皇庁とカソリック協会が地動説を認めてから
未だ四半世紀ほど、つまり24年しか経っていないと聞いておどいた。
ローマ教皇庁とカソリック協会が地動説を認めたのは1992年のこと。
それまでは天動説、つまるところ地球は宇宙の中心である、が常識だった。

どこまで正直に信じていたのかは知りませんが、
人類がアポロ宇宙船で月に行き、
スペースシャトルが宇宙を飛び回った時代になっても、
未だ天動説だったというのには、少々驚きだ。

地動説を唱えたコペルニクス。
15~16世紀に生きた人です。
天動説が当然の常識といわれた世の中で
どういう心境で地動説の結論に至ったのだろう。

紀元前2世紀ね古代ローマの天文学者プトレマイオスが著した、
アルマゲストという13巻にわたる著書なかで、
数学的に天動説を証明したものであり、
その後1,000年以上も疑われもせず信じられていたのです。
しかし、数学的証明といっても
地球が宇宙の中心という宗教的観念を都合よく
理屈をこねまわしたものでしかなかった。
その考えが常識として世の中を支配していたのです。

イタリアで司祭の勉強をする傍ら
天文学にも興味を示したコペルニクス。
詳細な星々の観測をすればするほど天動説に無理が生じ、
アルマゲストの理論に誤差を説明することができなくなったという。

天体の満ち欠け、内惑星の逆行といった惑星の複雑な動きに対して
強引に複無理やり数学的証明をしたアルマゲストに書かれた天動説。
神々はそんなに複雑に宇宙を作ったのだろうか。
全知全能の神が天地創造をしたのなら、
よりシンプルでより美しくより自然な動きをする法則があるはずだ、という
疑問が観測を続けさせ、疑念がいつしか信念となる。

その信念が地動説を誕生させるが
確信を得てもなお30年は観測を重ね、観測事実を積み重ねていく。
30年は土星が太陽の周りを一周する年月に近い。
それだけ慎重だったのは、当時の社会は天動説が常識であり
異論を唱えればたちまち異端児扱いとなる。
聖書を否定し神を冒涜すると考える社会だったからだろう。
事実、コペルニクスが死んだ100年後であっても、
地動説を唱えたガリレオは宗教裁判で殺されている。

コペルニクスが地動説の考えに至るには、
それこそ天地がひっくり返る程の勇気と決断が必要だったことだろう。
しかし自身が記した「天体の回転について」という著書が
世に出版される前に生涯を閉じています。
コペルニクス以前にも地動説を唱えた人物はいたが、
この著書の存在こそがコペルニクスを地動説の創始者とならしめたといっていい。
膨大な観測事実、
そしてその観測と計算方法を記し誰しも再現できるようにしたことが功績だ。

この時、寿命を前にしたコペルニクスの胸中はどうだったのだろう。
司祭という神に人生を捧げた生き様の中、
名誉欲や功名心などなくただひたすらに真実を求めていただけに違いないと
私は考えてしまう。

コペルニクスが唱えた地動説は
数百年の旅路の中でヨハネス・ケプラー、ガリレオ・ガリレイらに受け継がれ、
やがては歴史の常識を書き換えていく。
この先、私たちはどこに向かっているのだろう。
posted by れん | Comment(0) | 宇宙 | 更新情報をチェックする
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