2019年07月08日

一家団欒の大切さ

興味のあることに対しては取り組むが
あまり興味ないものに対しては一生懸命に取り組もうとはしない
そんな傾向が垣間見える昨今の人たち。

社会人の場でもそのような状況を垣間見ることがある。

思っていたことと違うので…
上司と気が合わないので…
自分にはこの仕事が合わないので…
そういって簡単に転職していく若者たち。
石の上にも三年とは過去の言葉になりつつある。

なんで気が向かないことをやらなければならないんだ?
嫌々やる必要はないだろう…?

時にはそのような性質を『個性』と言うようになってきた。

現代では情報が溢れんばかりに氾濫している。
自分とは違う興味分野に対しては興味を示さないばかりか、
下手すれば攻撃対象ともなりうる。
日本人はもっと寛容的であったはずだ。

その背景には何があるんだろう?
いつからか核家族化が進み、テレビは一家に一台ではなく個人の所有となった。
一昔前は家族でチャンネル争いがあった。
父親がいれば夕方からは大相撲の番組、NHKのニュース、
そしてプロ野球の巨人戦へと父親主導の元、チャンネルが変わっていく。
子供の私には選択権などない。
当然ながら、家族全員がテレビの前に集まり、夕食を食べながら、
興味のない大相撲とニュースを見せられながら育ったものだ。
興味があろうとなかろうと、一緒にいなければならなかったのだ。
私自身それに対して「なんだチキショー」とは思ったが、不幸だとまでは思わなかった。

しかし今やテレビやパソコン、スマホは個人の所有になる。
家族とも言えども別々のテレビを見る。
ネットを見たいものはそれぞれ見るし、
ユーチューブを見る者、ゲームをするもの、
SNSで仲間と連絡とるもの、…。
興味のないことは家族といえども一緒にはしない傾向が生まれた。

現代ではあらゆる情報が氾濫し選択肢は膨大になったが、
自分の興味とは違うものに対して、情報に触れることが少なくなっていく。
取り入れる情報は自分に合ったものだけになる傾向ではないか。
価値観がぶつかったとき、相手を理解するのではなく、自己主張で終始する。
現代の社会問題や国際問題をみていると、そんな気持ちがしてならない。
正義は一つではない。

昔の家族、一家団欒とは、
相性がよかろうと悪かろうと、
興味があろうとなかろうと、
好きであろうとなかろうと、
一緒にいて、一緒にテレビを見て、会話をする…という場があった。
家族といえど価値観が違う。
それでも相手に対して聞く耳を持つようになっていた。
興味のない大相撲をみて、
いつの間にか力士の名前を覚え、ルールを知ることになる。
興味のないニュースをみて、
社会情報がいつの間に耳に残り、時事も知るようになる。
忍耐力も養われるし、「なぜだろう?」という探求心も養われてきたはず。

一家団欒とは社会性を学ぶ大切な場なんだ。

posted by れん | うらない | 更新情報をチェックする
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